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『エスノグラフィー入門』

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エスノグラフィー入門 <現場>を質的研究する

エスノグラフィー入門 <現場>を質的研究する

  • 作者: 小田博志
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2010/04/27
  • メディア: 単行本
内容紹介
人間の生に深く関わる出来事は、いつも現場で起こっている。でも数値でとらえられないことは、なかなか制度に反映できない。量的には捉えられない人間の現実を、もっとしなやかに捉えようとする質的な研究方法が、人間科学の現場で模索されています。「エスノグラフィー」は、質的調査の代表的な方法論ですが、これまで体系的に解説したテキストがないジャンルでした。本書は第一線の人類学者、エスノグラフィーのプロフェッショナルが書き下ろした、初の質的調査法の決定版です。
フィールドワークのハウツー本を1冊読み切った後、続いてエスノグラフィーの方法について具体的な事例を用いて紹介している入門書をもう1冊図書館で借りて読んでみることにした。本書は大学の学部生、修士の院生あたりを想定読者として、卒業論文や修士論文のまとめ方について紹介している。著者は大学でこうした質的調査法とその纏め方について授業で教えている方である。おそらく、ある程度「こんなことがしてみたい」と思っている研究対象がある学生さんには、それを具体的に論文という形に纏めていく際に、適宜参考にしていくときっとよい論文が書けるのではないかと思う。

具体的に出来上がった論文の事例も巻末に4篇ほど収録されている。本書はこれらの論文が出来上がっていく過程で、どの段階で何が行なわれたのかを具体的に紹介しており、実践的でわかりやすい書き方になっている。これだけ丁寧に解説されていれば、何か書いてみたいという気持ちに駆られるのは必定。繰り返しになるが、書きたいテーマがある程度ある人なら、すぐに着手しようという気持ちになれるだろう。

「エスノグラフィー」という言葉だけに惹かれて手に取ったのだが、意外といい本だった。自分も早く書いてみたいという思いが強くなってきた。

週報(10/24-10/30)

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実は、記事を一度入力し、ほぼ完成した段階でエラーが出て、1時間ほどかけて入力した内容がパーになってしまった。今さらもう一度入力する気力もないので、できるだけシンプルに書き直そうと思う。

【10月24日(月)】
京都の大学での講義。東京に戻ると、丸の内で行なわれていた夕食会に途中参加。スリランカから一時帰国中の大学院の同窓生を囲む有志の集い。帰宅は23時を過ぎていた。

【10月25日(火)】
1)職場の顧問医と面接。善玉コレステロールと悪玉コレステロールのバランスが悪く、動脈硬化のリスクが高いと警告を受けた。ではどう対処するかというと結局のところは減量しかないとのこと。久し振りに体重推移を毎日グラフに付けろとの指示を受けた。

2)わけあって早めに帰宅。自宅近辺での用を済ませると21時には就寝。午前零時過ぎに仮眠を明けて、午前5時近くまで勉強会のレジメ作りに追われた。今週は僕が報告担当。対象となった本は白石隆『海の帝国』、僕が提案したものなのだから仕方がない。レジメの内容はブログ記事にもアップした。下記URLをご参照下さい。
http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2011-10-28-2

【10月26日(水)】
職場の剣道同好会の稽古に参加。地稽古で最初の相手とぶつかった際に右手親指を突き指してしまった。稽古後、近所の居酒屋で「反省会」。この日や前夜からの夜間作業もあったので疲れており、最初は参加しないつもりだったが、30分だけならというので参加し、結局1時間以上店にいた。帰宅はまたも23時頃。

【10月27日(木)】
プロ野球ドラフト会議。我がドラゴンズは1位で高橋周平内野手の交渉権獲得。なんとなく藤王康晴選手指名の時を思い出してしまい、高橋君にはちゃんと育って欲しいと強く思わざるを得なかった。但し、僕的にはナゴヤドームがあれだけ広いのに、高橋君に「ホームラン」を期待している高木新監督に一抹の不安を覚えた。

菅野君指名に踏み切った日本ハムには拍手を送りたい。ここでジャイアンツの単独指名を許したら、来年も亜細亜大・東浜投手の指名で同じことが起こりかねないところだった。いい選手がジャイアンツばかりに集まるのには忸怩たるものがある。それに、今はたまたま伯父の原さんが監督だからといって、ずっと監督であるわけではないのだから、菅野君がジャイアンツに入っても、ずっとプレーしやすい環境にあるかというとそれはわからない。

【10月28日(金)】
1)翌週の大学での講義の準備で、発表用スライドを10枚ほど準備。文献研究と称して学生に読ませている本を僕自身も読み込んでおく必要があり、28日夜、29日夜と帰宅途中に喫茶店に立ち寄り、その準備に充てた。それでも読み切れなかった部分は、翌23日(土)の早朝、24時間ガストに5時頃から入店し、1時間半かけて読み切った。

2)翌々週、急遽1泊2日の海外出張に行くことになり、この日は職場で関係者と打合せをした。僕としてはこの出張は上司のワンポイントリリーフのつもりだったが、この出張に参加し、先方と協議をすれば、その後の数カ月にわたってこの案件の準備、連絡調整は僕中心で進めなければならなくなりそうな気配が感じられる。このところ仕事の上ではスランプ状態にある僕としては、なし崩し的にいろいろな仕事が降ってきている今の状況に危機感を抱いており、そのために予防線も張っているが、そうもいかなくなるのだろうか。そう考えると暗澹たる気持ちになってしまう。

【10月29日(土)】
1)この10月、三鷹市で開催されたスタンプラリー「太陽系ウォーク」の景品交換のために、末っ子を連れて三鷹駅前の交換所に出かけてきた。末っ子の努力にオヤジの多少の手伝いもあって、集まったスタンプは102個にも及んだ。このスタンプラリーのお陰で、これまで知らなかった三鷹の街のお店について、新たな発見もあった。子供だけではなく、僕自身も楽しめた企画だった。疲れたけど。

2)午後、市内の中学校の吹奏楽部による演奏会が公会堂で開催された。吹奏楽部に所属している中2の長男が演奏に参加し、「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌、挿入歌をメドレーで演奏した。僕が子供の頃に見ていたアニメの曲がこうして息子たちの手によって演奏されるという状況はけっこう感動ものであった。このところ土日も部活で忙しかった長男も、よく演奏していたと思う。

【10月30日(日)】
1)演奏会もひと段落ついた長男を連れて、久し振りに月例川崎マラソンに参加。長男は3kmの部に出て13分を切る自己ベストを出した。一方の僕は、大会要項で3kmの部は大人が走れないと勝手に思い込み、エントリーしなかったのだが、実際には多くの大人のランナーが3kmの部には出ていた。次回も3kmの部でエントリーすると思うが、そろそろ長男にも5kmの部に挑戦させる段階に来ているのではないかと思った。

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2)この日の月例川崎マラソン会場には、僕が12年近く前まで約5年在籍していたP走友会の元メンバーだったTさんも来ておられた。それこそ12年振りの再会で、当時うちの長男は未だ2歳だった。今ではもう80歳にも近く、目があまり見えないと仰っていたが、健脚の方はいまだ健在で、元気に3kmを完走された。

3)今は長男が出場に意欲を見せてくれているのでこうしてマラソン大会にも行けるが、月例川崎マラソンに関しては、いずれ1kmの部をうちの末っ子にも走らせられるようになっていったらいいなと思う。


【番外編】
1)ここ2ヵ月、僕を悩ませていた仕事について、先週から今週にかけて、僕の上司が前面に出てきて下さるようになり、気分的にはかなり楽になった。状況が劇的に改善されたわけではないが、少なくとも板挟みの状況で僕がどのような精神的プレッシャーを感じていたのかを知ってもらえたのはよかったと思う。

2)この週末、自分の老化を痛感させられる出来事が2つ。1つは、長男の演奏会会場で、末っ子を見失ったこと。彼を追いかけて暗い場内から明るいロビーに出た筈なのに、僕の前を歩いていた人は末っ子ではなく、別の女性だった。どこで見失ったのかがにわかにわからず、相当に焦った。

3)第2の出来事は、月例川崎マラソンの会場に向かう途中で立ち寄ったコンビニで、買い物の後駐車場の車をバックで公道に出そうとしたところ、左後方にあった電柱に気付かず、サイドの最後部を電柱でこすり、一部へこませてしまったこと。自分では注意していたつもりなのに電柱を見落としてしまったことはかなりのショックだった。

『絶対貧困』(文庫版)

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絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)

絶対貧困―世界リアル貧困学講義 (新潮文庫)

  • 作者: 石井 光太
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06/26
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
絶対貧困―世界人口約67億人のうち、1日をわずか1ドル以下で暮らす人々が12億人もいるという。だが、「貧しさ」はあまりにも画一的に語られてはいないか。スラムにも、悲惨な生活がある一方で、逞しく稼ぎ、恋愛をし、子供を産み育てる営みがある。アジア、中東からアフリカまで、彼らは如何なる社会に生きて、衣・食・住を得ているのか。貧困への眼差しを一転させる渾身の全14講。
10月31日に予定している大学での講義に、ゲストとしてムンバイのスラムで活動している日本のNGOの代表の方にお越しいただいてその活動内容についてご紹介いただくことにしている。ムンバイのスラムといえば言わずと知れたアカデミー賞受賞作品『スラムドッグ$ミリオネア』のまさにその世界である。

そこで、講義の準備のために、ずっと積読にしてあった文庫版『絶対貧困』を読んでみることにした。

本書は2009年3月に単行本として発売された直後に一度読み、その時に学んだことをこのブログの記事として紹介している。今読み直してみても結構詳述しており、内容について参考になるところはあると思うのでご関心ある方はそちらもご覧下さい。下記URLです。
http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2009-06-12

2年経過してから改めて読み直してみると、初めて読むような新鮮さも感じた。このブログの読者の方々は既にお気付きかと思うが、僕は最近「フィールドワーク」の本を何冊か読んでいる。一見しただけではなかなか見えてこない現地のリアリティを浮き彫りにするのがフィールドワークの醍醐味だと思うが、それに近いことをまさに実践されているのが本書の著者だと思う。

フィールドワークを専門にされているような研究者の方々でも、こういうスラムや路上生活者の実態、売春商売の実態を、参与観察のような形で現場に入り込んで調べるということはなかなかできるものではない。犯罪に巻き込まれるリスクも相当高いし、変なものを食べさせられたり飲まされたりして、後で下痢や高熱に苦しめられるようなリスクもあるに違いない。恥ずかしいけれど、僕にはここまではできない。

それだけに、フィールドワークの成果物としても、本書を含めた石井光太作品は優れたものが多い。途上国の大都市に行くと、交差点で信号待ちしている車の運転手や乗客を相手にいろいろなものを売ろうと歩き回っている若い物売りや、荒んだ生活をアピールして同情をひき、お恵みを貰おうという物乞いが多い。そういう人々が自分の乗った車に近付いて来ると、窓を閉めてドアロックを確認し、頑なに目を合わせないようにした経験が僕にはあるし、途上国を旅した多くの方々が同じような経験をされていることと思う。もしそうした人々が、この石井作品を読み、彼らの「ビジネス」の背後にある売上金の配分のメカニズムを知ったとしたら、目の前で展開している物売りや物乞いの見え方がきっと変わってくるに違いない。

読み返してみて改めて感じたのは、スラムや路上生活、売春は、政府が強制的な退去や摘発措置を取ったところで容易には無くならないものなのだということだ。考えてみたら欧米諸国や日本にだって存在するわけで、こうなると僕らはそういうのを与件として考えないといけないのかなとすら思えてくる。そうした環境下においてもそこで住む人々はしたたかにサバイバルしようと日夜取り組んでいるわけで、そこにお金を落とすのが一概に悪いことだとはいえないのではないだろうか。

僕も少ないながらもインドのスラムを訪れたことがあるが、もし本書を読んでそうした場所に入っていたとしたら、少なくとも路上で遊んでいる子供達や食器や衣類の洗濯を汚い泥水で行なっている女性たち、やることもなくボーっとしている男たちといったスラムでありがちな光景を見るだけではなく、その背後にある生活のしたたかさ、頭を相当に使った商売の巧みさにまで思いをはせ、「貧困」という言葉だけでは言い表せない人間の生活の奥の深さというものを感じられたに違いない。

VOA、チャクラボルティ教授を紹介

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久し振りにコルカタのチャクラボルティ教授からメールをいただいた。米国の通信社VOAが彼を取材し、バングラデシュやインド東部のガンジス川流域で深刻な問題となっている地下水の砒素汚染について報じたので、その記事を読んでみて欲しいというのが趣旨だった。記事としては非常にコンパクトだが、汚染のきっかけを作ったのが何だったのかも含め、押さえるところは押さえた内容になっていると思ったので、全文和訳してブログに掲載することにした。

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砒素専門家語る「何百万ものインド人が危険にさらされている」
2011年9月29日、Voice of America、Kurt Achin記者(コルカタ)

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《ダッカ近郊に住むバングラデシュ人が砒素中毒におかされた手のひらを見せてくれた》

ディパンカール・チャクラボルティは2つのことにはまっている。1つはヨガで、これによって朝は目覚める。もう1つは砒素汚染である。彼はこのために夜なかなか眠ることができない。

西ベンガル州のジャダブプール大学の環境学部長であるチャクラボルティは、既に何千万人もの人々が直面している健康上の危機――自分が生まれ育った西ベンガルの地下水砒素汚染問題の最前線にいる。

彼が何十年も前に発した最初の警告は無視された。しかし、その後世界保健機関(WHO)が彼の警告の正当性を実証し、西ベンガルと隣接するバングラデシュの地下水砒素汚染問題を「人類史上最大の大規模中毒」と呼んだ。

チャクラボルティは言う。その問題に気付いて数十年経つが、インドは依然として農村の貧困層に飲み水の危険性について知らせる取組みをもっと強化する必要があると。さらに、農業灌漑に砒素汚染水を利用することでこの問題はさらに劇的な広がりを見せる可能性があると警告している。

人体への影響
被害者への影響はすぐには起きない。汚染地下水を飲み続けることによって砒素中毒は徐々に進行し、人体に目に見える影響を及ぼすのに何年もかかる。砒素中毒患者には、皮膚の色素斑や鮫肌、手足や関節の腫れ、腫瘍などがその砒素中毒の症状である。

初期の症状が目に見えるようになってくる頃までには、患者は癌に侵されている。「色素斑が現れると、すぐに私は痩せはじめました」――犠牲者の1人はこう語った。彼は一家の主だったがVOAのインタビューに答えた数週間後に亡くなった。「毎晩高熱にうなされ、吐血するようになりました。」

原因と解決策
汚染された水は深井戸から汲み上げられたものである。こうした深井戸は、1970年代に国際援助機関が病原性微生物に汚染された表流水に代わる安全な代替水源の供給を目的として掘ったものである。いわゆる「安全な代替水源」は、ガンジス川流域の砒素を含んだ地層によって汚染される結果を招いてしまった。

最近、チャクラボルティはほとんどの時間を村の訪問に充て、砒素汚染被害者の支援と飲料水の水質検査を行なっている。より安全な浅井戸も掘られていても、多くの村人が汚染された地下水を飲料用に当て続けている。

村人はまた、砒素に汚染された水を農業灌漑用に使用し続けているとチャクラボルティは指摘する。こうした水利用は、コメや家畜、調理用燃料としてよく使われている牛糞に砒素が蓄積されるというリスクを生み出している。

チャクラボルティは、政府関係者が遠隔村での啓発活動にもっと力を入れる必要があると指摘し、西ベンガル州の汚染地域を広くカバーする移動式ラボ(実験室)を設置するよう提言している。この移動式ラボは水質検査と啓発活動を行なう機能を持ち、最貧困層のインド人のニーズに応えるものだという。彼によると、より長期的な解決策はこの地域に豊富にある地表水のよりよい管理にあるという。

「雨水が利用できるところであれば雨水を利用し、ため池の水が利用できるところではため池の水を利用すればいい」――そう彼は言う。現代の浄水技術があれば安全な水の消費を保証してくれる。「西ベンガル、ビハール、ウッタル・プラデシュ、ジャルカンドの各州にまたがる砒素汚染地域の村はみな、水に囲まれています。」

問題の規模からして農村住民の草の根レベルでの参加なくしてどのような解決策も成功しないことを意味している――チャクラボルティはそう強調した。

*記事全文は下記URLからダウンロード可能です。
http://www.voanews.com/english/news/asia/Arsenic-Expert-Millions-of-Indians-at-Risk-130807418.html

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記事を読んでちょっと目新しさを感じたのは、チャクラボルティ教授が「移動式ラボ(mobile labo)」について言及し始めている点だった。僕が教授と直接お目にかかったのは今から2年前の2009年11月のことであるが、この時点では明示的に「移動式ラボ」のことは言ってなかったと記憶している。

実はこの「移動式ラボ」のプロトタイプは、日本のNGOであるアジア砒素ネットワーク(AAN)が、JICAの草の根技術協力事業のスキームを利用し、2000年代前半にバングラデシュで導入を試みている。チャクラボルティ教授はAANのダッカ駐在員のことを高く評価しており、僕が初めて教授を訪ねた時も、「砒素汚染対策として最も進んでいる優れた取組みを行なっているのはAANである。本当にこの問題への取組みのベストプラクティスを知りたければ、バングラデシュに行ってAANの活動を見て来い」とまで言われている。明言はしてなくても、「移動式ラボ」のアイデアはAANのバングラデシュでの取組みから得ているに違いないのだ。

残念ながら、インドでは砒素汚染問題を州政府あたりが真剣にとらえていない状況があるので、移動式ラボ構想もそうそう簡単には実現しないと思う。教授が外国のメディアの取材を受けたのは、国際社会からインド政府、州政府にプレッシャーをかけて欲しいという期待があったのだろうと推測する。

とはいえ、インドでも草の根レベルでこうした移動式ラボを特定地域でテスト的に導入する取組みはあり得ると思う。これに簡易浄水器を製造販売しているメーカーあたりからサポートが得られれば、水質検査と啓蒙活動に代替水源確保の解決法までセットにして、かなり効果的な活動が行なえるのではないかと思う。大学と環境NGO、そして企業が連携して移動式ラボを運営し、どこかの地域で成功事例を生み出すことができたら、砒素汚染地域を大きく変えるきっかけになるのではないか――VOAの記事を読みながら、そんなことを考えた。

娘を待つ未来

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世界人口が70億人を超えたというのがここ数日大きな話題となっている。人口問題を家族も交えて話し合うとても良い機会なので、ここぞとばかりに知ったかぶりをしている嫌味なオヤジを僕も演じているところなのだが、それでも1つだけ僕が言っていることで妻も無条件で賛成してくれることがある。

我が娘をインドには旅行させない。

地図すらまともに読めず、近所であっても道に迷う不遜の我が娘がまともな地図がないインドに単身で行くことなど考えられないということはあるが、それ以前に危惧するのは、無事にインドから帰って来ることができるかどうかの保証がないことだ。あと10年もして、娘が社会に出て自分で稼ぐようになってこれば、稼いだ金をどう使うかは娘の自由だ。しかし、そうだとしても、インドにだけは一人旅では行かせない。仲の良い女友達と一緒であっても反対するだろう。

新生児の男女比の不均衡は、1990年代から悪化が始まっている。その頃生まれた子供達は、2020年代には30代を迎えている。昔なら10代後半でも結婚が決まっていた親の世代と異なり、1990年代に生まれた男性は、30代になっても結婚相手が見つかっていない可能性が強い。女性に飢えている濃い野郎どもが今以上に増えている2020年代のインドに、地図が読めないうちの娘を送り込むなど、考えただけでも恐ろしい。

百歩譲っても、日本人がよく旅するルートになっている北インドには行かせない。北インドの方が新生児の男女比の不均衡が著しいからである。(勿論、パンジャブ州やラジャスタン州に行く日本人女性観光客はそんなに多くないだろうが、ウッタル・プラデシュ州やビハール州はかなり心配だし、パンジャブ出身者が相当に出て来ているデリーも心配だ。)

勿論、そんなこと考える前に、ちゃんと考えて責任ある行動がとれる大人として我が娘を育て上げるのが僕達にとっては先決なのだが…。

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ゴラクプールの怪奇熱病

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明日(4日)、インド駐在時代に面識のあったグプタ医師と東京でお目にかかることになっている。グプタ医師はウッタル・プラデシュ(UP)州東部クシナガルのインド福祉村病院、通称「アーナンダ病院」を実質1人で背負っておられる。釈迦の涅槃の地として日本人観光客もよく訪れるクシナガルだが、遺跡群の周辺は下層カースト農民が多く住む北インドでも有数の貧困地帯である。そんな農村地帯に立地するアーナンダ病院を切り盛りされているグプタ医師は、僕が最も尊敬するインド人の1人である。

クシナガルへの玄関口はゴラクプールという町で、デリーから夜行列車で行ける。ネパールとの国境にも意外に近く、ラジオではネパールのラジオ局の放送を聴くことも可能だ。そんなゴラクプールを中心とするUP州東部一帯で、最近問題になっていることがある。元々この地域は日本脳炎の症例が多かったのだが、ここ数年、日本脳炎の症状とは異なる別の熱病が蔓延し始めているのだ。しかも毎年モンスーンの時期に症例が集中し、今年も大変な事態となっているのだそうだ。

隔週刊誌Down To Earthの2011年11月1-15日号に「UPで熱病が蔓延(Fever stalks UP)」(Sonal Matharu記者)という記事が掲載されている。インド福祉村協会の招聘で来日中のグプタ医師と食事をご一緒する前に、予習のつもりでこの記事を読んでみた。以下はその記事のポイントである。

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1)ゴラクプールのババ・ラーガヴ・ダス医科大学(BRDMC)ではここ4ヵ月、子供の患者で溢れかえっている。そのほとんどが意識不明で、痩せた腕や脚から点滴を受けている。両親は病院の廊下に泊り、そこで食事を取ったり用を足したりしている。ベッドは2人以上の子供で占められている。UP州東部最大の脳炎症状のレファレル病院にある7つの病棟は、押し寄せる患者によって収容能力を既に超えている状況である。

2)この4ヵ月の間に、UP州東部では426人の子供が脳炎で命を落としている。東部には7つの県(ゴラクプール、クシナガル、マハラジガンジ、デオリア、バスティ、サント・カビル・ナガル、シッダルタナガル)があるが、いずれの県でもこれまで30年間にわたって脳炎との闘いを繰り広げてきた。2005年には1000人以上の子供が亡くなっており、政府はこれが日本脳炎だと特定し、2006年と2010年にワクチン接種プログラムを展開したが、これは脳炎を制御するのに失敗。政府高官は、プログラムは日本脳炎自体の抑制には成功しているが、ゴラクプール周辺の脳炎の原因は日本脳炎ではなくエンテロウィルスであると表明した。

3)エンテロウィルスは脳を攻撃し、脳細胞を恒久的に破壊する。多臓器障害によって患者を死に至らしめるか、体や精神に障害を残す。しかし、患者の脳炎が日本脳炎ウィルスによるものなのか、エンテロウィルスによるものなのかを判別するのは医師にとってかなり困難である。高熱や嘔吐、意識不明といった初期症状がよく似ているからである。症状の違いは、日本脳炎なら1週間程度で熱が下がり始めるが、エンテロウィルスの場合は15日程度高熱が続くという点にある。このため、医師は全ての脳炎を急性脳炎(AES)という同じカテゴリーで分類している。

4)しかし、エンテロウィルスは2006年以降日本脳炎に代わってこの地域に蔓延している。2005年まではUP州のサンプルの30%が日本脳炎ウィルスにポジティブな反応を示したが、ワクチン接種プログラムが実施されると6%にまで低下した。それでも国立ウィルス学研究所(NIV)はエンテロウィルスが日本脳炎に取って代わったことを認めるのには消極的である。実験結果に極端なばらつきがあるからである。食道で見つかったエンテロウィルスが脳を冒すメカニズムが特定できず、他のウィルスによって脳炎が引き起こされた可能性もあるという。

5)いずれにしても状況は厳しいもので、エンテロウィルスにはワクチンも治療法も確立されていない。研究開発には予算も時間もかかり、ワクチンのライセンス手続も厳格に行なわれることから、政府は研究開発にはほとんど投資を行なっていない。このため、唯一の対抗措置は予防しかないと関係者は言う。日本脳炎ウィルスは蚊が媒介するが、エンテロウィルスの場合は汚染水から体内に侵入する。ゴラクプールの小児科医であるシン医師がクシナガル県ホリヤ村で行なった取組みにより、衛生改善によって予防措置に優れた結果を残している。

有効な治療法がない中、BRDMCの医師達は、行政やNGOと協力し、脳炎の制御に取り組み始めている。ゴラクプール県のサンジェイ・クマール首席行政官は、最近日本脳炎制御会(Japanese Encephalitis Control Society.)を設立した。安全な飲み水や衛生環境の改善を、ドキュメンタリー映画の上映やストリート演劇を通じて住民に訴えていくことを活動目的としている。AESの後遺症で神経機能障害や動作障害に苦しんでいる回復者が暮らせるよう、行政ではゴラクプール市内19ヵ所に特別養護ホームを建設することを計画している。

*記事全文は下記URLからダウンロード可能です。
 http://www.downtoearth.org.in/content/fever-stalks

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インド福祉村協会の現地での活動も、こういう他の医療機関や行政が現地NGOと連携して展開している活動とうまく連携していけたらいいんだけど…。当然明日の会食でも僕はこのネタを持ち出すと思う。現在、グプタ医師はゴラクプールに居を構えてそこから毎日クシナガルのアーナンダ病院に通勤するという勤務形態を取っておられるので、当然ながらゴラクプールを中心に展開しているという上記のような動きとは何らかの繋がりをお持ちであろうと思う。それにうまく乗れないのがアーナンダ病院の運営体制の弱さだ。実質グプタ医師1人で成り立っている診療所のようなもので、有能な看護師の確保ができていないというだけではなく、有能な事務長が配置されていないところがつらい。グプタ医師も、アーナンダ病院のことで精いっぱいというところだろう。

こうしたクシナガルの周辺地域で起っている事態に常にアンテナを張り、必要なら関係機関との連携を積極的に仕掛けて地域医療の大きな展開の中にアーナンダ病院を位置付けていくような取組みに、本当は僕も協力したいと思っているのだけれど…。そんなことも明日は話してみようかと思っている。


【11月5日(土)加筆分】
昨夜、グプタ医師と会って来ました。上の記事で紹介した内容については概ね肯定的で、記事の中に登場するBRDMCとは普段から交流もあり、登場する多くの人々とも個人的に面識があると仰っていました。熱病の予防には「教育」が重要なのだと強調されていました。日本からアーナンダ病院のサポートでいらっしゃるボランティアの方々は、その多くが看護師やその他のパラメディカルの方々で、1週間単位で来られているのだとか。それだと一時期に集中するので、大勢の方々がサポートで来られている時は人が余るぐらいなのに、ボランティアが一人も来られていない時は逆に患者対応で忙殺されるという事態に陥るのではないかと私が尋ねると、それはないとは言えないと仰っていました。逆に、医療の知識がない僕のような人間でも、周辺農家への普及啓発活動の展開というところではもっと活動できる余地があるのではないかとも尋ねてみると、その通りだと支持されていました。

日本より速いアジアの高齢化

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国連人口基金(UNFPA)が10月に『世界人口白書2011年版』を発表したのを受け、このところ、世界人口が70億人に到達したという報道がマスメディアを賑わせている。曰く、世界人口は2050年に93億人に到達し、今世紀末には100億人を突破する、曰く、現在12億1千万人で中国に次いで世界第2位のインドの人口は、2050年には15億人を突破し、第1位に躍り出るとか。

インドに特化した記事はいずれ別の機会に紹介したいと思うが、人口増加が著しいのは、①たくさん生まれて寿命も延びる「多産少死」と、②生まれる数も亡くなる数も少ない「少産少死」が世界全体で見た場合に同時に起きているからである。「多産少死」の国々では、医療の進歩で死亡率が下がり、農業の発展で食料も確保でき、産業の発展で生活レベルが向上してきたが、人口が増え過ぎて、食料やエネルギーの不足、環境への負荷増加、雇用機会の確保といった問題が起きている。一方、人口の伸びが緩やかになった「少産少死」となる国々では、高齢者の割合が増えて、社会保障に充てられる資金や若い労働力人口の不足が懸念されている。白書は、こうした状況を受け、移民の増大や資源不足といった問題が生じるとも警告している。

UNFPAの発表とタイミングを同じくして、総務省は10月26日に、2010年10月実施の国勢調査確定値を発表し、2010年の日本人の人口が1億2535万8854人になったと述べた。2005年の国勢調査結果からは37万人の減少だという。高齢化の進行にも拍車がかかり、65歳以上人口は前回から357万4千人増えて2924万6千人、高齢化率は23.0%になったという。2位のドイツ、イタリアは20.4%だが、1位日本との差はかえって開いた。

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ちょうどそのようなタイミングで、三鷹国際交流協会(MISHOP)は、標題のタイトルの国際理解講座を10月22日(土)に開催した。講師は日本総研の大泉啓一郎さん。いつものように、会場は三鷹駅前コミセンである。

OizumiNikkei.jpg大泉さんの著者を度々このブログでも紹介させていただいている通り、僕は大泉さんと面識があるため、今回の講座の企画については、今年4月頃から大泉さんと連絡を取り、10月に開催しようということで準備を進めてきた。近隣の書店にPOP広告を置かせてもらい、大泉さんの著書の販促と抱き合わせのイベント広報を試みたり、9月に開催された三鷹国際交流フェスティバルでイベント紹介をやったり、果ては三鷹駅前のお店の幾つかにポスターを貼らせてもらうようなお願いまでした。さらには最後の悪あがきで、当日別の目的でコミセンを訪れた来場者を入口でつかまえてイベント案内をするようなことまで、MISHOP関係者の方にお願いした。

その甲斐あったか、講座に出席下さった方の数は49人にのぼり、なんとか格好がつく形にはなったと思う。個人的には、これだけやっても49人という実績には納得いかないものもある。中国や韓国の高齢化についても言及されたので、本来ならMISHOPの活動に何らかの形で関わっている外国人の方々にも来て欲しかったが、1人もいなかったのが残念だ。(まあ、MISHOPがそのHP上でイベント案内をしたのが日本語サイトだけだったので、イベント開催自体を知らなかった外国人居住者も相当いたのではないかと思うが。)それと、参加者の年齢構成的にもシニアの方が非常に多く、若者が少なかったのも残念。そういう広報の仕方ができていなかったのかもしれないと反省もする。

僕自身は大泉さんの著者を熟読していたので、講演内容自体にはさほど目新しいものがなかった。くしくも、10月24日(月)の日本経済新聞にも「世界 忍び寄る高齢化」という記事が掲載され、大泉さんがコメントを残している。その記事の切り抜きを添付しておくので、画像クリックして拡大して読んでいただけると幸いである。

最近の国際理解講座では、質疑応答に相当な時間をかけ、講師と参加者のインタラクションを多くした。その結果として、今回も、「じゃあ三鷹のシニア市民に何ができるのか」という具体的な問いへの答えらしきものが出てきたりして、なかなかよかった。「シニアSOHO普及サロン三鷹」のような取組みは、うまく情報整理して英語で発信できたら、アジアの多くの国々の都市に住むシニア市民にも参考になるし、アジアのシニア市民間の経験交流のきっかけにもなると思う。(SOHOサロンだけではない、僕が知らないだけかもしれないが。)

活発な議論が展開されている光景を見守りながら、普段からよく勉強しておられるシニア市民が多く参加して活発に挙手されている一方で、若い人が少ないのにはひっかかりも感じた。このところ国際理解講座は、集客力がありトークの上手い講師を招聘してそれなりにレベルの高いことをやっているが、それでかえって若い人が初参加しづらい雰囲気を醸し出してしまっているのではないかと気になった。全体にレベルを落とせと言うつもりはないが、高校・大学生とか小中学生とかいった年齢層でターゲットを区切って、バラエティに富んだテーマを扱っていけたらいいのにと思うのだが、それをやるには今のメンバーの高齢化が著しい国際理解委員会が企画運営するのは相当に難しい。MISHOPも正念場だ。

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週報(10/31-11/6)

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【全日本剣道選手権に感動】

Takanabe.jpg朝日新聞のウェブ版は、記事を削除するのが早すぎるので、取りあえず引用はすれども一応記事の内容を本文の方でも転載しておくと、11月3日(木)、第59回全日本剣道選手権大会が東京・日本武道館で開催され、全国の予選会を勝ち抜いた64人の都道府県代表が出場して熱戦が繰り広げられ、前年覇者の神奈川県警・高鍋進6段(35)が、激戦を制して2連覇を達成したというもの。2連覇は、所属先の監督である宮崎正裕先生が1990~91年と98~99年に二度達成して以来のことで、史上2人目。

決勝で初優勝を目指した東永幸浩選手(埼玉県警)に、ツキで一本勝ちした。一昨年優勝の内村良一選手(警視庁)は、準決勝で東永に敗れた。

市民ランナーを真面目にやっていた頃、僕にとっては、毎週日曜日の午後といえばテレビのマラソンや駅伝の中継を見ることが恒例だった。しかし、剣道を再開して以降、毎年11月3日といったら全日本剣道選手権をテレビ観戦することが恒例行事となっている。今は折角東京に住んでいるんだから日本武道館で生の試合を観てみたいという気持ちもあるのだが、それはもう少しだけ子供が大きくなって、少しぐらいは強くなってからでもいいかなと思っている。この日は剣道をやっているうちの末っ子とともに別件で外出したので、最初からテレビ観戦と決めていた。

不思議なもので、こういうふうにテレビ観戦した後というのは気持ちが高ぶり、自分もあんな剣道ができるのではないかと本気で思ってしまう。優勝した高鍋選手をはじめとして上位に勝ち残った選手の多くの打突はスピードが速過ぎて同じようにはとてもできないが、攻めというのがどういうものなのか、間合いの攻防というのがどういうものなのか、参考になるところが幾つもあった。と言いつつ、実は一番参考になったのは、内村選手が2006年に初めて全日本選手権を制した時に決勝で決めたかつぎメンのビデオだったのだが。そういうのを試してみようと12日(土)の道場稽古に臨んだが、稽古への参加者が少なかったこともあって時間無制限の自由稽古となり、40分近く地稽古をやっただけでヘトヘトになってしまった。気の抜けない先生方と時間無制限で稽古するのはものすごく息が上がる。左手の握力もなくなってしまった。

いい試合を見ることは本当に勉強になる。
高鍋選手、二連覇おめでとうございます。

さて、今週は行事が立て込み、1週間前に何をしていたのかを思い出すのも難しいぐらいに中味が濃い7日間だった。

【10月31日(月)】
この秋の恒例として岐阜の実家で月曜朝を迎え、京都へと向かう。この日の大学での講義は、4時限目にゲストスピーカーの方に来ていただき、お話いただいた。京都を拠点に活動されているNGO「光の音符」のN代表で、僕がインド駐在時代に初めてお目にかかり、仕事の上でも個人的にもそのムンバイのダラヴィ地区のスラムでの活動を応援させていただいた。また、N代表のご活動を通じ、僕はハンセン病に潜む「差別」という問題について学ぶことになった。医療技術の進歩で病気は完治するようになったけれど、発症者の早期発見や、発症者・回復者とその家族に対する周囲の差別や偏見といった課題はそう簡単には克服できない。そこにNGOの活動が求められる余地が今も残されている。それに、「光の音符」とハンセン病、インドとの繋がりは設立当初からあったわけではなく、国内での活動が展開されていく過程で、初めてその問題に気付き、そしてインドでの活動にも繋がっていったのだという。

インドに駐在していた頃は、「光の音符」の国内での活動とインドでの活動が必ずしも僕の認識の中で繋がっていなかったのだが、今回こうしてN代表のお話をじっくり聞かせていただくことで、初めて理解することができた。僕らは国際協力NGOというのは最初から国際協力を行なうことを目的として設立されたのだとついつい思いがちだが、「光の音符」のケースは、元々は音楽家や芸術家が国内で老人ホームや療養所を慰問する活動を展開していた中で、岡山県にある国のハンセン病療養施設の1つ、邑久光明園を訪れて初めてハンセン病と出会い、そこからインドへと活動が展開していった、そういうケースもあるのだ。(勿論、N代表ご自身が、1960年代後半から1970年代にかけてアグラで実施されたハンセン病医学研究協力の日本人専門家のご令嬢だったということはあるが、「光の音符」自体の当初の活動は、ハンセン病ともインドとも全く関係のないところで始まっているのだ。)

【11月1日(火)】
1)ここ2ヵ月ほどの僕の精神的ストレスの最大の原因となっていた仕事に1つの新たな展開があり、状況打開の糸口が見えた1日だった。そのために突貫工事で行なわなければならない作業があったが、とにかく作業をなんとか進めることができた。

2)夜、三鷹国際交流協会(MISHOP)の国際理解委員会に出席。9月25日の国際交流フェスティバル、10月22日の国際理解講座の反省会が行なわれて、幾つか感じていたことを率直に述べさせていただいた。

3)翌日午後の会議に向けて、これまた突貫工事で資料を作らなければいけなくなった。この日はMISHOP事務局での会議を終えるとすぐに帰宅して就寝。午前1時30分に起床して2時から4時まで24時間ガストで資料の読み込みを行なった。その後1時間少々の「仮眠」を取り、それから出勤した。

【11月2日(水)】
1)午後の会議に向けて説明資料の作成を進めつつ、前日から持ち越しになっていた「板挟み」解消プロジェクトも着実に進展し、会社トップのクリアランスが取れたとの連絡が夕方18時近くになって入ってきた。かなりホッとした。

2)ホッとしたという精神状態で、夜は新橋に行って夕食会に参加。インドのアンドラ・プラデシュ、マハラシュトラ、オリッサの3州でオーガニック農業推進活動を行なっているNGOチェトナ・オーガニックからアシッシュさん、ラオさんが来日中で、チェトナとパートナーシップ協定を結んでhaco. PEACE BY PEACE Cotton(PBP)プロジェクトを展開しているフェリシモのKTさん、KEさん、豊島のMさんとともに、Mさん幹事の下で歓迎の夕食会が行なわれたので僕も出させていただいた。普段からチェトナの事業進捗報告書を読んで翻訳する仕事をさせていただいているので、現場の声を生で聴けるまたとない機会だった。チェトナ・オーガニックの来日の話は、いずれブログでも別の記事で紹介したいと思う。

【11月3日(木)】
1)ビオファ・ジャパン・オーガニック・エキスポ2011(BioFach Japan Organic Expo 2011)に出店中のチェトナ・オーガニックのブースを覗いてこようと思い、末っ子を連れ立って晴海の東京ビッグサイト(国際展示場)に行ってきた。(その模様も別記事で詳述したい。)

2)晴海まで出かけたついでに台場のパレットタウンで大観覧車に乗ったりして過ごしたのだが、歩き過ぎてヘトヘトに疲れ、この日は早めに就寝してしまった。この日は翌日の来訪者に備えて早朝から「予習」をやっていたもので、あまり寝ていなかったのであった。

【11月4日(金)】
1)職場の方では午前中会議、午後は週明けからの韓国出張の準備をやった。

2)今週2組目のインドからのお客様あり。豊橋のインド福祉村協会が研修目的で招聘したグプタ医師がこの日に名古屋近辺での研修日程を終えて東京に移動。日本での最後の2晩を東京で過ごされるということで、初日の夕食をアテンドしたのである。このアテンドについては、掲載済みの記事「ゴラクプールの怪奇熱病」の末尾でも紹介している。

【11月5日(土)】
週明けからの韓国出張の準備で、関係資料の読み込みに入った。早朝4時30分起床してマックで「早勉」、朝の家事が落ち着いた11時頃から武蔵野プレイスの図書館でさらに3時間半の読み込みを行ない、さらに夕方1時間ほどの読み込みをやって、一応この日の目標だった作業量はクリアした。武蔵野プレイスでの勉強には受験勉強中の娘も付き合わせた。

【11月6日(日)】
引き続き韓国出張の準備。この出張自体、先週急に言われ、大学の講義と重なっていたので最初は行くのも渋っていたのだが、結局今週に入って休講と補講の日程調整で大学側の理解が得られ、行けることになったものだ。突貫工事で予習をやったが、現地でどうなることか非常に心配。


【今週のドラゴンズ】
セ・リーグのクライマックス・シリーズは、ドラゴンズがアドバンテージの1勝を含む3勝2敗で日本シリーズ進出に王手をかけた。(この記事を書いている時点では、6日の結果が出ていないので、取りあえず「王手」のところまでの記述にとどめておく。)ネルソンが1軍選手登録から外れたので先発投手のコマが足りないのではないかと心配になったが、よくよく考えたらソトが逆に故障から明けて戦列に復帰しているので、なんとか日本シリーズにも行けるのではないかと取りあえずは安心している。スワローズもよく頑張っていると思うけれど、投手のコマが足りない印象。とにかくつぎ込める戦力をどんどんつぎ込み、明日のことも考えない戦いぶりだ。万が一CSに勝てたとしても、そこで力尽きて日本シリーズではソフトバンクに惨敗するのではないかと思う。今のソフトバンクとまともな勝負ができるのは、戦力的に余力を残しているドラゴンズしかいない。

同日加筆します。ドラゴンズ、CS制覇おめでとうございます!
韓国出張前に優勝が決まって、嬉しいといえば嬉しいのだけれど、レギュラーシーズンの優勝決定シーンが浅尾だったので、今日は岩瀬で最後まで投げさせて欲しかったなとも思う。TBSのお陰で今日はテレビ中継で優勝シーンを見ることができたが、優勝を味わえて涙ぐんでいた佐伯はともかく、岩瀬の涙目は別の意味もあったのではないかという気がした。

人口ボーナスか、災難か?

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世界の総人口が10月末に70億人に到達したという話は、11月5日付の記事「日本よりも速いアジアの高齢化」の中でも紹介したところであるが、どうも日本でこの報道を読むと日本人のパースペクティブで捉えられる傾向が強いので、それではインドのコンテクストならこの70億人というのをどう見ているのかというのは興味があるところだ。

そうしたところ、おあつらえ向きの記事をOneWorld South Asia(OWSA)のサイトで発見した。2011年11月2日付の「インド:人口ボーナスか、災難か?(India: Demographic dividend or disaster?)」という記事で、元々は10月24日付英国The Guardian紙に掲載されたJason Burke記者の記事が紹介されたものである。
*記事URLはこちらから!
 http://southasia.oneworld.net/opinioncomment/india-demographic-dividend-or-disaster
 http://www.guardian.co.uk/world/2011/oct/24/india-seven-billion-global-population

記事はデリー南部郊外のマダンプール・カダル地区(Madanpur Khadar)の取材に基づく。実はこの地区、僕が雇っていた運転手グラムの自宅があるサリタ・ビハール地区の東隣にあり、職場のオフィス移転先物件探しをやっていた2008年2月頃に何度か通ったことがある。サリタ・ビハールの北隣にジャソーラ(Jasola)という地区があるが、ここは元々灌木に覆われた未開拓の土地で、それが急速なデリーの都市化の影響でオフィス需要が高まり、近代的なオフィスビルが何棟も建設されるラッシュが起きていた。要するにグルガオンのようなところである。そのジャソーラの建設現場に通う人々が集まり、マダンプール・カダルは急速に規模を拡大していった。サリタ・ビハールには政府が建てた低所得者層向け集合住宅が整備されていたが、マダンプール・カダルも同様で、デリー中心部の再開発に伴って移転を余儀なくされた住民用にデリー市当局が受け皿として整備した地区なのである。

記事によれば、マダンプール・カダルの人口は約4万人。煉瓦とセメントで出来た5階建ての集合住宅に、1部屋10人程度が暮らしている。上下水道は未整備で、時として仕事もない。歩道には子供と身重の女性が溢れ、人口大国インドの現実がそこでは垣間見えるという。世帯当たりの子供の数は4人から8人はいる。


記事はここでチャンチャールという27歳の女性にスポットを当てる。石工として働く夫と3人の子供と暮らす彼女の住まいは15フィート×10フィートの地階の1部屋だけで、家賃は月2,000ルピーだという。僕が駐在していた当時の私用運転手の月給の相場は手取りで6000~8000ルピーというところだったから(僕は9000ルピー以上払っていたが)、その1/4から1/3が家賃でふっとんでしまう計算だ。しかも彼女は4人目の赤ちゃんを身ごもっている。

マダンプール・カダルは2001年に整備された。移転させらてこの地区に移ってきた当初の住民は2万人。それが10年間で倍増した。この地区の人口増加率はインドの全国平均と比べてはるかに高い。インドの総人口は、2001年から2011年にかけて1810万人増加し、12億1千万人に達した。このままだと2035年には14億5千万人にも達すると見られている。

DelhiCrowded.jpg

インドの政治家はこの国の人口構成が若いことで大きな人口ボーナスが発生し、経済活動の拡大を促すとの期待を寄せているが、中にはそれが人口学上の災難でもあると指摘する声もある。マダンプール・カダルの状況は人口増加がもたらす希望と課題の両面を浮き彫りにしている。地元の学校は教員が不足し、教具も足りない。教員不足や教育に必要な資機材・施設の不足は、インド全国で大きな課題となっている。

チャンチャールは、4歳、5歳、7歳の3人の娘を地元の私立学校に通わせているが、その月謝は1,000ルピーにもなる。チャンチャール自身は文盲である。だからこそ彼女は自分の子供たちを学校に通わせ、将来は学校の先生になって欲しいと期待する。最新の国勢調査では識字率は9%改善し、74%に達している。インドの若い人口の将来は、彼らに十分な仕事を提供できるかどうかにかかっている。

もう1つの重要な問題は、幼児の栄養不足である。それは大人になってからの認知能力に影響を与え、今日の若者たちの将来の被用可能性(employability)にも影響する。

女児よりも男児が好まれる傾向も観察される。女児堕胎が一般化し、2011年国勢調査によると、新生男児1,000人に対して女児は914人に過ぎない。これは2001年の927人よりもさらに悪化している。国勢調査実施機関の高官によれば、こうして生まれてきた世代が将来家庭を持とうと考えた時に、いびつな男女比が大きな社会問題を引き起こす可能性があると指摘されている。

そしてこの記事では、最後に、これだけ大勢の人々が希少な資源に依存していることに懸念を示している。野生動物は生息地を奪われ、環境汚染の影響も受けている。医療サービスは大きく見積もっても未整備と言わざるを得ない。チャンチャールのような妊婦は、出産の時には2時間もかけてバスでデリーの中心地に出かけなければならない。このコロニーからの道路は未整備で、リキシャーに乗って移動すると何度も大きく揺られる。住民は危惧する。今でもバスに乗ると、5つの座席に15人もの乗客がひしめく状況で、しかも交通渋滞で思うように車が動かない。人口がもっと増えたらどうなるのか、考えただけでも恐ろしい。

それでもチャンチャールは楽観的だ。「私はいい生活を送れています。うちの子供たちもきっとそうなるでしょう。」

オーガニックコットンを越えて

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10月30日(日)から11月5日(土)にかけて、インド・ハイデラバードに拠点を置くNGOグループ「チェトナ・オーガニック(Chetna Organic)」から2人のインド人スタッフが来日した。1人は同グループの営利部門Chetna Organic Agriculture Producer Co. Ltd.(COAPCL)のCEOアシュトシュさん、もう1人はChetna Organic Farmers Association(COFA)のオリッサ州コーディネーターのラオさんである。2人は、11月1日から3日まで東京・晴海の東京ビッグサイトで開催された「ビオファ・ジャパン・オーガニック・エキスポ2011(BioFach Japan Organic Expo 2011)」にチェトナのブースを出店するために来日した。インドからは、インド政府の農産品・加工食品輸出開発局(APEDA)の代表者をはじめとして、チェトナ他2社の代表者が来日し、11月2日にはインドからの参加者でセミナーも行なわれたらしい。

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《東京ビッグサイト前の様子》

チェトナ・オーガニックは、日本のカタログ通販会社フェリシモがオリッサ州カラハンディ県で実施中の「haco. PEACE BY PEACE cotton project(ハコ・ピースバイピース・コットンプロジェクト)」(以下、PBP)の現地パートナーである。今回来日した2人のうち、特にラオさんはカラハンディの事業実施チームのトップでもあり、PBPプロジェクトにとってなくてはならないキーパーソン。チェトナから提出される定期事業進捗報告書の翻訳を手伝っている僕としては、未だ行ったこともないカラハンディのことを直接聞ける貴重な機会ということもあり、是非お目にかかりたいと思っていた。

来日にあたっては、フェリシモのコットン原料輸入代理商社である豊島のMさんが早めに東京入りしてチェトナの2人をアテンド、11月2日夜の会食もアレンジして下さった。これにフェリシモからPBPコットンプロジェクトの担当のTKさんとEKさん、そして僕が合流し、新橋の日本料理店で楽しく情報交換をさせていただいた。お話を聞きながら、僕もカラハンディに行ってみたくなった。カラハンディには会社の渡航制限がかかっており、今の会社に勤めている限り、僕はたとえ私用であっても訪れることができないのが本当に悔しい。(なにはともあれ、Mさん、会食アレンジありがとうございます。)

翌3日は文化の日で祭日ということもあり、家で退屈しそうだった末っ子を連れて、東京ビッグサイトに向かった。

チェトナは、オーガニック・コットン栽培だけを現地で推進しているわけではない。地域の農作物全般をオーガニック栽培で作ることを目指している。コットンについてはPBPコットンプロジェクトを通じて日本企業との関係作りができた。今回のオーガニックエキスポ出店は、コットンを越えて、他のオーガニック農産品について日本市場の開拓を図ろうとするチェトナの意気込みだというのがよくわかった。そのオーガニック農法との取組みについては、展示内容からもよくわかるし、PBPコットンプロジェクトの宣伝もしっかりされていた。でも、持って来ていた大豆は、大きさとしては小ぶりで、彼らによると、ダル(豆カレー)用の豆だということだった。日本ではダルはインド料理店で出されるくらいで家庭ではあまり作られないし、それをつぶして揚げたムーン・ダル(Moong Dhal)のようなスナック菓子も市場としては未開拓だ。長期的には検討の余地がかなりある食材だと思う。

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《商談も活発に行なわれていた。》

でも、ここの展示のお陰で、僕は連れて来ていた末っ子に、自分が来ている綿100%のTシャツの原料がどのようにして生産されているのか、それをオーガニック栽培にするということが何をどうすることなのか、具体的に説明し、PBPコットンプロジェクトの形成に僕も一枚かんでいたと話した。お父さんがインドで何をやっていたのかを末っ子にわかりやすく話す機会は今までなかったので、これだけの写真を用いた展示を東京でしていただいたのにはとても感謝している。

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《英語で受け答えをやった末っ子にちょっとビックリ!》

来年もチェトナが出店してくるようだったら、もう少しお手伝いをしてみたいと思ったりもした。どのような商品ラインアップで日本市場にアプローチをするのかは、事前にもう少し考えた方がいいのではないかとも思ったし…。

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グッドデザイン賞授賞式

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11月9日(水)、都内東京ミッドタウンにおいて、2011年度グッドデザイン賞の授賞式が開催された。審査対象数3,162件の中から、649社の1,112件がグッドデザイン賞を受賞し、カタログ通販会社フェリシモが応募した「haco.PEACE BY PEACE COTTON Project(ハコ・ピースバイピース・コットンプロジェクト」(以下、PBP)も選ばれた。インドに駐在していた時、僕は当時構想段階だったPBPコットンプロジェクトの話を聞かされ、現地パートナー探しと合意文書の締結を仲介したこともあり、授賞式には是非とも出席したいと思っていた。持続可能な資源循環の実現に向けたフェリシモの構想の秀逸さを改めて感じた受賞だった。おめでとうございます。

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《受賞商品の一覧表の中から見つけた、PBPコットンプロジェクトの写真》

この1つ前の記事でチェトナ・オーガニック・グループからの来訪者について取り上げたので、PBPについて多言は要しないだろう。たまたまYouTubeを見ていたら、フェリシモとチェトナの双方の代表者がPBPについて語っている映像を見つけた。これだけで全貌はわかりにくいかもしれないので、フェリシモのPBPのサイトも併せてご覧下さい。
http://www.felissimo.co.jp/haco/v29/peace/

《フェリシモの葛西さん》

《チェトナ・オーガニックのラマさん》

「インド離れりゃただの人」になり下がっている今の僕にとっては、先週から引き続いてノスタルジックな気持ちに浸る現実逃避の場でもあった。会社の渡航制限措置の関係で、僕は今の会社で働き続ける限り、私費であってもオリッサ州にあるPBPコットンプロジェクトの事業地に入ることができない。渡航を業務目的と位置付けることも難しいため、自分も育てるのに一役買ったプロジェクトなのに現場と関わることができないもどかしさをずっと感じ続けている。我が社は会社としてこの事業形成に一役買ったことを宣伝し始めているが、フェリシモから相談を受けた当時の状況を振り返ると、随分と変わったもんだと苦笑いもしたくなる。

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《表彰状受け渡しは意外と事務的…》

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《表彰状》

さて、今年のグッドデザイン大賞に選ばれたのは、本田技研の「通行実績情報マップ」だった。震災後初めてのグッドデザイン賞ということなので、大賞受賞はまあ当然かなという気がした。本田技研さん、おめでとうございます。

大賞は東日本大震災での「通行実績情報マップ」 2011年度「グッドデザイン賞」決定 - ITmedia ガジェット

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《グッドデザイン大賞は壇上での表彰状記念品授与が行なわれた。》

『モルフェウスの領域』

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モルフェウスの領域

モルフェウスの領域

  • 作者: 海堂 尊
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2010/12/16
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
日比野涼子は桜宮市にある未来医学探究センターで働いている。東城大学医学部から委託された資料整理の傍ら、世界初の「コールドスリープ」技術により人工的な眠りについた少年・佐々木アツシの生命維持を担当していた。アツシは網膜芽腫が再発し両眼失明の危機にあったが、特効薬の認可を待つために五年間の“凍眠”を選んだのだ。だが少年が目覚める際に重大な問題が立ちはだかることに気づいた涼子は、彼を守るための戦いを開始する―“バチスタ”シリーズに連なる最先端医療ミステリー。
金曜日恒例の手抜き記事を1つ―――。

今週前半、仕事で韓国に行ってきた。こういう旅の場合、僕はお供に1冊ぐらいは小説を携行することが多く、仕事を終えた帰りの飛行機の機内は、居眠りよりもむしろ読書タイムという感じで捉えている。この韓国出張は僕的には急に決まったもので、韓国との仕事上の繋がりはこれまで全くなかったにも関わらず向こうの相手とビジネストークをちゃんとして来なければならなかったため、週末は2日とも近所の図書館にこもり、社内の関係者から提供された資料を読み込んだ。ついでに、出張明け後すぐに開かれる勉強会で検討対象となる文献も読み込んでおいたのだが、その時に、ついでに小説も借りておくことにした。

海堂作品にしようとは考えていたが、『ナニワ・モンスター』か『モルフェウスの領域』かどちらにしようか迷った挙句、最終的には後者にした。決め手になったのは作品の舞台が桜宮市であったからである。「桜宮サーガ」を復習するいい機会だと捉えたのだ。

その目論見はだいたい当たった。過去の海堂作品を読んでいれば、登場人物の素性や背負っているものが、詳述されてなくても想像ができてしまう。例えば日比野涼子の手首のやけどの跡とか、佐々木アツシ君の「ハイパーマン・バッカス」とか、佐藤先生の「チュパチャップス」とか。それに、嬉しかったのがアフリカ某国の日本大使館で涼子が出会った飲んだくれ医務官の登場。結局名前を明かさずに終わっているが、『ブラックペアン1989』以来姿を隠していた渡海先生じゃないかと容易に想像がつく。渡海さんがどうやって「海を渡った」のか、海外でどんな仕事をしているのかを描いた作品も期待してしまうな。

そうしたところはまあ海堂作品を読む面白さではあると思うのだが、正直に告白すると、この作品は頭がこんがらがるところが多かった。僕自身の理解能力の問題かもしれないが、涼子と曽根崎教授のメールのやり取りも、涼子の決断も、そして何かともったいつけるしゃべり方がムカつく西野のセリフも、はっきり言ってついていけない。展開が速い場面では苦にならないが、特に「モルフェウス」が凍眠している間の涼子と曽根崎教授のメール問答は、ただでも場面展開が全くない中でのメールだけでのやり取りなので、読み進める前に眠くなり、10頁を読むのにも時間がかかってしまった。そういう難しい会話はすっとばして場面展開だけを追いかけていれば楽しい部分もかなりあるので、お薦めしないわけではないが、読了後にもう一度理解し直すために読み返そうとは思わないので、わからないままでもう読まないだろう。

それだけではない、戸惑うこともかなり多かった。

第1に、5年の歳月を経て再登場する多くの人たちのキャラ。『ジェネラル・ルージュの凱旋』以来のご登場で、オレンジ病棟の師長にまで昇格した如月翔子がこの典型で、僕は『ジェネラル・ルージュ~』の時にはあまり印象に残らないキャラで花房師長の引き立て役になってしまっていたが、今回はたいそうなご出世で、背中に鬼の刺繍が大きく施されたサテンのジャンパーを羽織って下はGパン――なんて姿で登場している。明らかにキャラが変わっていて、戸惑いを覚える。翔子ほどではないけれども、そういう例は多々見られた。田口先生が真面目に仕事しているのにも違和感あったな。

第2に、相変わらず意味不明のカタカナを多用される。「モルフェウス」や「ステルス」、「リーパー」、「フロイライン」などがその典型例だ。海堂作品の1つの確立されたスタイルなのだが、医療関係者って本当にこんなニックネームをつけたりつけられたりしている人ばかりなのだろうか。あまり度が過ぎるとかえってそれがあだになって、読みづらいし、あまりにキザな野郎どもに思えて、抵抗感すら感じてしまう。だいたい、こんな言葉を多用する人物に限って天才が多く、ストーリーの中の他の登場人物だけではないく、読者を小馬鹿にしている感じがする。「お前に俺が言ってることが理解できるか」と問いかけられているような気すらしてしまう。

第3に、思い込みが激し過ぎてついていけない人物もいる。涼子は理解することが難しかった。

中盤からのストーリーの展開は非常に速いので一気に読めるが、前半も集中して読まないと、論点を把握する前に眠さが襲ってくるので要注意。心して読みましょう。僕はこの前半部分をソウルの宿のベッドの上でダラダラ読んでいたので、いつの間にか眠ってしまっていた。

なお、『ジェネラル・ルージュの伝説』に書かれていたが、海堂は『モルフェウスの領域』について、「この物語は私の虚数空間のほころびを繕うための壮大なつじつま合わせ」だと述べている。「桜宮サーガ」を広げ過ぎて、年代のつじつまがどうしても合わないところが出てきたので、それを取り繕うために書いたのだという。どうりでいろいろな人物が登場しているわけだ。

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『現場主義の知的生産法』

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現場主義と研究者
関満博著『現場主義の知的生産法』 筑摩新書、2002年4月
 我が社の社長は、3年前に就任して以来、「現場主義」というのを言い続けてきている。僕の勤めるのは研究部門であるが、研究部門と現場主義とでどう折り合いをつけるのか、僕はずっと悩んできた。例えば、ある研究プロジェクトを実施するとしても、プロジェクトはいずれは終了するし、僕達も人事異動で全く異なる部署に移ってしまうということもある。
 (中略)
 本来なら、これから始めるか始めることを具体的に検討する前の事業にベタ張りして、現場の現況と事業を行うことによって生じる現場の変化をくまなく追いかけていくタイプのものができるといいと思う。それを上司に述べたところ、「そんなのは実行でできる」と一言。ただ、僕が見るところ、うちのビジネスモデルはそのようなタイプの研究活動とは折り合いが悪いような気がする。やれるのであればとっくの昔にやっている。
今からちょうど6年前の11月、僕は上記囲みにある記事を書いた。その時は近所の図書館で本書を借りたのだが、フィールドワークに関する入門書でこの関満博教授の著書がお薦めの参考文献として紹介されていたのを受け、再び読んでみることにした。

現場主義の知的生産法 (ちくま新書)

現場主義の知的生産法 (ちくま新書)

  • 作者: 関 満博
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
現場には常に「発見」がある!国内5000工場、海外1000工場を踏査した“歩く経済学者”が、現場調査の勘どころを初めて明かす。実際に行ったモンゴル2週間40社調査をケースに、海外調査のルートづくり、インタビューの要諦、調査結果のまとめ方など、その全プロセスを公開する。調査が終わったらとにかく早く形にする、整理はしない、現場は刈り取るだけではなく育てるもの、等々、IT時代だからこそ心に染みる、超アナログ知的生産のすべて。

今回、5年振りに読み直してみたけれど、「現場とは一生付き合っていく態度」とか、ポイントをよく押さえている記事になっていると思うので、あえて今回改めて本書を紹介するということはしない。ただ、読んでみて今思っていることを書き連ねておきたい。

先月から今月上旬にかけて、僕は3組ものインドからのお客様とお目にかかった。いずれも、インド駐在時代に懇意にしていただいた現地NGOの方々である。加えて、インドに活動の拠点を置いておられる日本のNGOの駐在員の方とか、インドに事業地を持っておられる日本のNGOや企業の方にも4回、のべ7名の方々にお目にかかっている。これに加え、メール等でやり取りをさせていただいた日本のNGOは2団体ある。自分が関わった事業が何らかの表彰を受けたケースも二度あった。駐在員生活を終えて我が社本体のインド事業とは関わりが途切れてしまったけれど、駐在員時代にお世話になった方々とは概ね関係を途絶えさせることなく来ているような気はする。

皆さんから一様に「また現場来て下さい」と言っていただく。こちらの事情が想像つかないからだろう、「次はいつインドに来るのか」と何度も聞いてくる「優しい」インド人も何人かいる。それだけ実際に彼らの現場に足を運び、そこに住む人々の話を聞き、そこで活動する人々と意見交換を交わしてきたからだろうと自画自賛するが、問題はその彼らの「現場」に再び足を運ぶ術がないことである。いつもお詫びのメールを返信する度に、悔しさを噛み締めている。

勿論、誘われた全ての現場に平等に足を運ぶことは難しい。しかし、ここと決めた現場については、理想を言えば2、3年に1回ぐらいは再訪して、地域社会の変化を見守っていけたらと思うのである。3年間の駐在員生活は、定点観測するためのベースラインとなる情報を押さえるのには有意義だったが、次のステップがなかなか踏み出せない。

先週、僕の本のタイトルについて出版社側とようやく合意ができた。6月に行なった南インドでの農村調査は、フィールドでの村人へのインタビューの仕方を実戦で学ぶのに非常に役だったし、4年前に全員引き揚げた日本人の養蚕専門家の南インドに残した足跡を探るのには有効だったと思うが、僕自身はこの調査をベースにして、折角築いた現地での人間関係を、この先どう維持発展させていけばいいかが大きな課題だと思っている。私費でもいいのでこの現場には今後も何度か通い、その中から南インドで起っている大きな動きを浮き彫りにできたらいいと思うし、そこでの政府の技術者や農家の方々との交流の中で、彼らにとっての気付きも促せて「あいつを受け入れて良かった」と思ってもらえるような関係が築けたらいい。

関教授の現地調査の実践ノウハウが詰まった本書を読みながら、現場と一生向き合うことを改めて意識した。

但し、現場に行ったら何でもいいから1つは訪問先に対して「提案」や「提言」を残してこいというその姿勢については、受け入れた側にも何らかのメリットがなければ調査者を快く受け入れられないという点については理解するものの、調査者が訪問先の企業に残していった「提案」や「提言」がどういうものだったかが具体的には書かれておらず、よくわからなかった。「トイレが汚い」といった類の話でも可ということらしいが、もう少し具体例があった方がわかりやすかったのではないかと思う。

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